
ポルトガルの料理
ポルトガル料理は、バニラやパプリカ、ピリピリ(小さく辛みの強いトウガラシ)といった、ポルトガルのかつての植民地原産の 多種多様な食材を取り入れています。オリーブ油は調理と味付けの両面においてポルトガルの料理の基本の1つであり、ニンニクは、 コエンドロおよびパセリのようなハーブとともに広く使われています。
ポルトガルの野菜
ポルトガル料理にとって一般的な野菜は、トマト、キャベツ、タマネギ、ジャガイモ、インゲン豆、ライマメなどです。 豆を野菜とリングィーサや豚足などと煮込んだフェジョアーダ、パンをベースにニンニクとコエンドロと魚介類などで味付けし、 熱湯や出汁を注いだアソルダやミガスの他、米やジャガイモを加えた料理など、澱粉質に富む料理が豊富です。多くの料理には、 通常オリーブ油と酢のドレッシングで和えたトマト、レタスとタマネギのサラダがつけあわせられます。いろいろな野菜で作られる スープもよく供され、最も人気のあるものの1つがジャガイモ、繊切りのカラードグリーンとショリッソのスライスから作られる カルド・ヴェルデです。
ポルトガルの肉類
牛の胃やソーセージ、白インゲン豆などを用いたポルトの名物料理「ポルト風もつ煮」の起源には諸説あるようです。 その1つが14世紀にカスティーリャ王国の軍がリスボンを包囲し、テージョ川河口を封鎖したときに誕生したとする説。 食品の価格は天文学的な値に高騰し、幼い少年たちはかつて小麦市場だった場所に行き、地べたに落ちた2、3粒の穀物を見つけるや否や 夢中で口にしたといいます。老人や病人は売春婦と同様に都市の防衛に寄与できない者としてカスティーリャ陣営に送られましたが、 リスボンに送り返されるだけでした。この時点でポルト市民がどうにか川の封鎖を通り抜けることができる供給船団を組織することを 決めましたが、肉の可食部位は首都リスボンに送られていたため、しばらくポルトの住民が食べられるものは臓物に限られたそうでうす。 他の説には1415年にエンリケ航海王子が行なったモロッコのセウタ遠征に際しポルトが進んで軍に肉を供給した結果、 臓物しか残らなかったというものがあります。 ポルトガル料理には他にも多くの肉料理が存在ります。「アレンテージョ風の豚肉料理」という名称のハマグリと豚肉の炒め物、 カルネ・デ・ポルコ・ア・アレンテジャーナは一般的な料理ですが、アレンテージョではなくアルガルヴェが起源であるため紛らわしいです。 アレンテージョ地方は広大な農業地域であり、シネスのような大きさの漁港しかなく、貝類はかつては内陸の地域に供給されたことが ありませんでした。一方で、アルガルヴェはすべての点で海岸に比較的近く、アルガルヴェ地方のブタは餌として魚を よく与えられていました。それで、肉の魚臭い味をごまかすために炒めた豚肉にハマグリが加えられたといいます。 ポルトガルのステーキ、ビフェは油で焼いた牛肉または豚肉の薄いスライスに、フライドポテト、炒め飯またはサラダを添えたもの。 栄養価を高めるために目玉焼きを肉の上に載せて供する場合には、「騎乗した卵添えビフェ」という名称で呼ばれます。 イスカスは、リスボンの古い居酒屋でよく注文されますが、ジャガイモのソテーがつくとイスカス・コン・エラスと呼ばれます。 小さな牛肉または豚肉のステーキを巻いたものは牛肉ならプレゴス、豚肉ならビファナスと呼ばれる一般的な軽食で、 しばしばビヤホールでは大ジョッキのビールとともに供されます。マデイラ諸島では、エスペターダというケバブ風の肉の串焼きが 非常に一般的です。